Maiumiの垂れ流す日常。

フーテンのビーサン画家ことMaiumiの日々のあれこれ思う事や活動内容などを垂れ流すブログです。

暇なので…(笑)

海を旅する愛と美の表現者 Maiumiです。こんにちは。

今日は母の通院付き添いで医大に来ています。デッカイ病院あるある『予約時間に行っても意味がない』ほど待ち時間が長く暇なので、何か書いておくかなー…と、はてなのアプリを開いてみました。

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(医大近くにある、気になってるカフェ↑)

さて。何書くかな…


あ!先日、FBでエイプリルフールネタをぶっこんだ所、なかなかに好反応を頂いてホクホク大満足だったのですが(笑)

ネタの内容は『突然の再婚宣言』だったんですけど(笑)自分の願望も盛り込みのジョークだったからか、マジレスが3件ほど来ました…(;´_ゝ`)

で、ですね。
自分の願望も盛り込み済みだったのでそれが現実化するにはどうしたらいいかなー、とミカエルのオラクルカードで天使たちとのコミュニケーションを試みました。

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そしたら見事に会話成立しまして(笑)

現実化する気しかしない現在のわたし。
愛はミラクルやで!!(笑)

そして、先日友だちと会ってた時に、何でこう望むライフスタイルになかなか振り切れない(浸りきれないうちに揺り戻されるような現実面での流れが起きて元のような暮らしに戻る)のか、ってことをテーマにタロットをひいてもらいました。

そこで出てきたのが、『自分が誰かに影響を及ぼすことへの恐怖・拒否感』。これ、前からチョロチョロ出てきてたんだけど(ってのを急に思い出した)、今回ほどハッキリと自覚したことは無かった気がする。

でも、それって。

2014年夏のコンユ事件(と勝手に呼んでいる出来事)で目覚めた『誰かの勇気に繋がる存在であること』と同義じゃないか!


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そこを引き受けないと、在りたいわたしには到達出来ないんだなぁ…。

ということで、人に影響を与えてもイー!与えなくてもイー!

そんなことを自分に浸透させるため、話の流れのなかで出てきたこのボトルを使い始めることに。

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79番、駝鳥のボトル。

古代エジプトの過去生にも関連するこのボトル。わたしのバースチャート(生まれたときのホロスコープ)にも古代エジプトに関するサビアンが幾つか出てくる。自分でそれを仕込んで生まれてきてる。

幼い頃、『運命と言うものが本当にあるのなら、ことごとく逆らってやる!』と天を睨んだわたしだけど、自分の持つ可能性やテーマに、降伏する時が来たんだろうな。。。

オレンジ(ショック・トラウマ・自己不信感)でバイオレット(錬金・自由意思・天を地に下ろすこと)に蓋をしている、と言い換えることも出来るこのボトル。

今朝から向き合うことを始めてみました。

どんなわたしがその向こうに待ってるかな?

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新月から春分にかけて

海を旅する愛と美の表現者 Maiumiです。こんばんは。

何だかここのところ、色々と自分の中で湧き出てきた想いというか気付きというか。

 

うまく言語化出来るか分からないんだけど、そもそも垂れ流しblogなので、まとまってないまま書き始めたいと思います。

 

 

雨が凄い。 凄い降り続けてる。 雨が嫌い。 雨が降るから恵みがあることも知ってる。 晴れた日ばかりだと乾燥して大変なことも知ってる。 虹は雨が降らないと出ないことも知ってる。 だけどやっぱり雨は嫌い。 雨がなければ命という命は生きられない、だから雨は素晴らしい、と思い込もうとした。 美しい虹は雨上がりだからこそ姿を顕す、だから雨は素晴らしい、と思い込もうとした。 思い込もうとした、というかそれ自体は事実だけど。それだから愛さなければ、と思っていた。 けど、やっぱり愛せないことに気づいてしまった。 自分の気持ちに知識で蓋をしようとしてた。 こんな自分では駄目だと変わろうとしていた。 でも、本質は雨が嫌い。 わたしは雨を愛せない。 でも、雨は素晴らしいものであることは変わらない事実だろう。

Mai Umiさん(@maiumimaiumi)が投稿した写真 -



わたし、無理なことしようとしてたんだな、と。

愛せないものを愛そうとしていた、というか。

愛さなくちゃいけない、と思っていた。

 

例えば、生まれ故郷である今の居住地 宮崎。或いは、両親。

 

自分の根っことしてあるもの。それらを思うように愛せないことが欠損のように感じてられて、こんな自分ではいけないんだと罰して愛せるように自分の感情を捻じ曲げて愛しているように錯覚をおこそうとしてたというか。。。

 

うーん、何かちょっと微妙に違うかな・・・

 

愛せないということは、価値がないものである。自分のルーツが愛せないのであれば自分自身の価値がないも同然。だから、自己肯定感を持てるようルーツを愛そう、とあれやこれやで捉え方を工夫しようとしていた、というのかな・・・

 

わたしは、興味を持ったことや好きだと思ったことに対して、とてつもない馬力と底力で探求します。グググーーーっと深めていきます。そういうことをしていると、それらを心底愛してるんだな~と実感したりします。

 

それと同じような熱量やベクトルを、「持って然るべき」と感じるものに対して持てなくて、自分が欠陥品のような気持ちになっていて。

 

「愛そう」と努力していた。

 

でもね、気付いちゃったんです。

 

「愛せない」ってことを、捻じ曲げちゃいけないんだってこと。

 

それが、自分の本質。

 

「愛する」って、動詞ですね。

 

でも、「愛」という名詞になると、それは「そこにあるもの」と言われたりしてますね。「在る」んですよね、「する」んじゃなくて。

 

「愛せない」っていうのは、自分が「愛してる」って実感できるような愛し方が出来ない、ってことなんだな、と。

 

でも、そこに愛は「在る」んだろう。

 

上の方のインスタのリンク内で「わたしが雨を愛せなくても、雨が素晴らしいものであることには変わりない」って書いてるんですが、「あー、わたしは故郷を愛している」とか「両親のこと、何を差し置いても愛してる」と到底思えなくても、きっとそこに愛は在るのだろうし、故郷や両親の価値が消えるわけではないんだということ。

 

何せ「愛せなければ価値がないことも同じ」くらいな勢いの強迫観念ですから、必死で愛そうとしてましたし、愛せないことを自分の中で否定し続けてました。それらを愛している人たちに対して「あなたが愛しているものには価値がない」と言ってしまうような気がして。

 

でも。「わたしが愛そうが愛すまいが、対象物の価値は何ら変わらない」ってことに気づいてしまった。気づいてしまったら「わたしってどんだけおこがましいんだろう!」って顔から火が出る思い(笑)

 

わたしには、幼少のころから惹かれるものがいくつかあります。

そして、それらをとても愛しているな~と実感することも多いです。

(具体的には南国・夏・海・青・地図 など)

でも、なぜ物心つく前から好きなのか、理由は分かりません。

 

同じように、愛せないものもあっていいんじゃないかと。

(例えば冬・寒さ・雨・コーヒー・たばこ など)

能動的に積極的に愛せなくても、価値は変わらないしきっと愛はある。

 

あとづけで愛せなくなったものも、道徳的に考えてよろしくないからって無理やり愛そうとしなくていいよね、と。

 

好きじゃないもの、嫌いなものを声を大にしていう必要はないけど、好きじゃないと感じる心を「でもこれこれこうでこんなに素晴らしいものなんだから」と捻じ曲げなくてもいいじゃないか、と。というより、そこを拾い上げる前に捻じ曲げてキレイゴト変換してから受け止めちゃいけない、逆に。そこは正直に自分の想いに目を向ける必要があると感じました。

 

だから、今まで後ろめたい気持ちを持っていたけど

「わたしは宮崎のことをそこまで愛せません」

というのが正直な気持ち(笑)

 あ、これ、結婚している時に住んでいた街もそうだった。

ずっと、愛せないけど…素敵な知人もいるし何よりマンション買っちゃってるしで愛せないなんて口に出来ないし思ってもいけないって自分を罰してた。

土地に関しては、日本の中では湘南と沖縄を非常に愛してるな。

 

両親に関しても、大事にしたい気持ちはあるけど、「愛したいようには」愛せないです。。。。うん。でもお互い、どうせ愛は在るんだよ。愛し方愛され方に不器用なだけでさ。

 

道徳的に・人として・「愛して然るべし」なものを愛せないわたしが駄目なんじゃなくて、「愛せないことから目を逸らしてなんとか理屈で愛すべき理由を数え集めいてたわたしが駄目」だったんだな、という風に感じています、今の所。

 

しかしそれも必要なステップだったということ。

 

なもので、これから先、好きになれないものを無理して好きになろうとはしないと思うので、一般的な目で見たら付き合いにくい人にどんどんなっていくだろうな~と予想してます(笑)

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色々食傷気味だけど…

海を旅する愛と美の表現者 Maiumiです。こんばんは。

実家に帰ってきてからの日々は色んな感情を味わったり爆発したり爆発するのも飽きてひたすら籠ったり。


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ただ、つい先日気づいたこと。
わたしにとって実家とは、たったの一日たりとも心安らぐ場所だったことはなかったんだということ。

幼い頃からそうだったんだと改めて気づいたときには愕然としました。

そして、それを認めるのは自分には悲しくて悔しいことだけど、認めないことには自分の寛ぎには辿り着けないのだなと思いました。

親がそういう環境を作ってくれたかどうか、は関係ないのだな。わたしがそう感じられたことはなかったこと。それを認める。


恵まれていたのかもしれません。恵まれていなかったのかもしれません。愛されていたのかもしれません。愛されていなかったのかもしれません。

その、周りの事実はどちらでもいい。

大事なのは、わたしはそう感じてこられなかった。


そして、それを認めた上での『どうせ愛されてるし』『どうせ恵まれてるし』なのだなと。


わたしが感じてきたことをねじ曲げての魔法の言葉じゃ効き目がないんだということ。


ねじ曲げての魔法の言葉は、『恵まれた環境で、そこに相応しいことしてないんです』『まだまだわたし頑張ってないんです』『頑張るなって言われても、何にも頑張れてません』と全く同じなんだ。

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最近、何かと電波をキャッチしやすいです。

今日の電波は

『わたしは誰の期待にも答えません。あなたの期待になんか、これっぽっちも答えたくありません。わたしはわたしの想いにだけ忠実であるように生きます』

何当たり前のことを?と思うかどうか。

これ、前者の内側から湧いてきたのがスゴいと分かる貴方はきっと、わたしと同じ前者な子どもだったのでしょう。
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下弦の月の日に

海を旅する愛と美の表現者 Maiumiです。こんにちは。

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どこの常夏か?って感じでしょう?
宮崎にもこういう色した海があったんですね。
青島付近での景色です。

わたしはこの日、もしかしたら生まれて初めてかもしれない感覚を覚えました。

『宮崎を愛せる心を持てたかも』という。


わたしは転勤族の親についてまわってたので
小中高それぞれ入学したのと卒業した学校が違っていて、
一番の思春期には沖縄に住んでいたということもあって
あんまり宮崎に対して愛を持って故郷だという感覚で
見つめたことがなかったんです。

それでも生まれた土地だし、親戚一同ほとんど宮崎だし、
両親も沖縄から戻ってからはずっと宮崎だし
他のきょうだいは宮崎以外に住んだことないし、
地元としては「宮崎である」と言ってはいましたが。

転校が多かった分、同級生とかも全然連絡が続いてる人とかいなくて
何というか、根なし草というか余所者というか・・・
そういう感覚がずっとあって。

月射手なので、多分幼いころから「ここではない、どこか」へ
行きたい・飛び出したい願望が無意識に強くて、
でもそこに、蟹座にある土星がタイトに睨みを利かせていて。

家族への葛藤とか、肉親・親類達の濃い繋がりとか、
そういうのが本当に息苦しくて(風要素強いから余計にかな)
わたしにとって宮崎とは、普段どこかに置いておきたい
重苦しさに向き合わなければいけない場所で、
そして、わたしの望みを何一つ叶えてくれない土地と思えていて
故郷を愛するとか一生無理だな、と思っていました。

大人になって色々なつながりの中で、同級生とかの枠を超えた
宮崎在住の宮崎を愛している人たちと出会って、そして
そういう人とふれあった結果宮崎を愛すようになった違う土地在住の人たち、
と出会って、わたしはそんな風にはきっと思える日は来ないだろう
と思っていました。


けれども。

先日の下弦の月の日。

車を走らせていたら、目に映る全てのものが美しくて。
空も、山も、海も、全ての青が澄んでいて。
「こんな景色を見せてくれて、ありがとうございます」
と、心の奥の方からふわぁ~っと自然に感謝と感動の念が突いて出てきた。
そして、この土地に縁がなかったら、このタイミングでこの美しさに
出会えてなかった…って思えてきて、「いまここに居させてくれてありがとう」
っていう感覚が、泣ける程湧いてきたんです。

もしかしたら、アーススターと繋がった瞬間なのかも知れない。

その日一日、地球と宇宙のすべてに歓迎されているような
とてもHappyな感覚に包まれて過ごしていました。

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わたしのフィールドワークとなっている、ビーチ曼荼羅もしてきました。


そんな感覚に包まれて、今日この日のことを覚えていよう…と
自分のこころと宮崎の土地にオワシマス神さまに誓いました。
そして、力を貸してほしい、とのお願いも珍しく。

わたしは普段神様に、感謝を伝えたり誓いや報告はしますが、
具体的に何かお願いをする、ということはあまりやりません。

が、何かを成し遂げたい時に自分の力だけではどうにもならない、
という時には「力を貸して」と素直にお願いするだけで違うんだよ、
というメッセージというかインスピレーションを、この日青島の中で
受け取ったんです。


その感覚が残っているまま、次の日、今後の自分の人生を
どんな風に生きていきたいのか改めて見つめてみよう、
思いつくままでも構わないのでわたしの内側に漂う声を
拾い集めてみよう…そんな感じで過ごしていたら、
その土地のエネルギーの産物である温泉に入っているとき
(裸で、土地エネルギーとまぐわっているとも言える)
宮崎にしては大きめな地震がやってきました。


それだけでも、何かが動き出したなという感覚はあったのだけど。


一日の終わりに、その地震震源地を確認しようとしたところ
(普段宮崎で地震が起きる時は日向灘沖(海ですね)で起こることが多いのが)

今回は珍しく陸地が震源地だということを目にして、緯度経度で検索してみたら

まさに、その時間わたしがいたその場所の緯度経度と一致していました。
(何度何分以下の細かい所まで出てないけど、分までは同じ)


江ノ島にいた時と同様、青島でもピンポイントでそこだけ晴れる、とか
この土地の龍神さんと相性が良さそうだなぁと感じてはいたのだけど
地震までピンポイントで起きて(わたしにとっての)サインを投げてくれる。


アーススターと繋がって、この土地とのコミュニケーションが
うまく取れるようになってきた気がします。

繋がることが出来たのは、帰ってきてから家族との関係性のワークが
激しく深く続いても投げ出さずにいるからかも知れないな、と
この記事を書きながら何となく思えてきました。

今、空の土星もわたしの生まれの月にほぼ重なってきています。
空と生まれの土星から、寛ぎと快楽の月・金星(生まれの月・金)が
強い影響を受けている今、わたしのこれからの生き方をどんな風に意識したら
楽しんで享受出来るか意図しておきたい時期です。

かなり信頼している星読み師hirokoちゃんからも、次の新月に向けて
しっかり意図することをアドバイスしてもらっています。

もう少し、自分の内側にある声を拾い集めて真っ直ぐ見つめ
輪郭を持たせていきたいと思う一週間です。


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がっつりワーク中。。。

海を旅する愛と美の表現者 Maiumiです。こんにちは。

わー。もう、前の記事から二カ月がたとうとしている…。

実家に帰ってから、それくらいの月日の中で色んな事が目まぐるしくあったなぁ。

 

今までの人生で「ストラテジー」として身につけてきたことを、一回脱ぎ捨ててみる覚悟で実家に帰ってきた訳ですが。文字通り”体当たり”のワークが続いております。

 

なかなかじっくり自分の中心を見つめる余裕もないほどに、日々疲れておるのだなぁとこのblogの空き具合で実感しております。

 

せっかくタイトルに「垂れ流す日常」と入れたのだから、もう少し垂れ流していきたいものです(笑)主にFacebookでは本当にどうでもいい瞬間のことから垂れ流しているんですけどね。

 

本日は母の通院の合間でのスタバ作業です。

マカーじゃないのにいっぱしにスタバでノート開いてすみませんww

 

実家に帰ってからのワークについて、書ける余裕が出来たらなーと思っています。

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